四分の一のねじ
ー制作中の「オニキス」より
シャツに着替えるためクローゼットを開けた。
クローゼットの中は僕の人生だった。
奥行きがある分、生まれてから現在までの、僕に関するものが沢山押し込められてある。
掘り起こせば、幼少期のおもちゃや、笑えるくらい小さな当時の服があるはずだ。
しかし成長するにしたがって、いや、年を重ねるにつれて、新しいおもちゃや新調した制服、結局一度しか被っていないストレートキャップなどが、上書きするように「思い出」に積み重なっていく。
おそらくクローゼットの奥行きは、自分が思うより深く、ほとんど無限遠に続いている。
今見える表層の物が全てではなく、記憶の網から溢れたものが無限遠の先に必ず眠っている。
取り出せばその時の記憶も発掘できると思う。
だがいつからだろう、掘り起こすことをしなくなった。
「大人になる」とはこういうことかなのかも知れない。角が擦り減って丸くなった映画のパンフレットを見つめながら僕はそう思った。
クローゼットの右扉を留めている蝶番は、ねじを一本失っている。
ねじは一つの蝶番に合計四本差さるようになっており、三本は残っている。
開閉の際、金属が擦れる苦しい音がするが、それは耳を澄まさないと聞こえない程度のものだ。
ねじを一本失ったところで、扉の開閉自体にはさほど支障をきたしていない。
その四分の一のねじがいつ無くなったのかは思い出せない。
ここに本来差さってあるはずのねじを、母の胎内、あるいは割れた窓ガラスに忘れてきてしまったのだろうか。
そもそも僕が失ったものは四分の一のねじ程度のものなのか。
僕には身の回りの物事を自分と重ねて見る悪い癖があった。
ストライプのシャツを掴み、扉を閉めた。
物音一つ無かった。