たゆたう


自分は静止が嫌いだ。

幼いことから落ち着きがなく、
通知表に「もっと授業に集中しよう!」と
書かれることは、夏休みが迫った7月末、
朝顔の鉢と自分でも信じられない量の教科書を抱えて
蝉の合唱の下を家路を急ぐと同じくらい、
ありふれて日常的な光景だった。

大人になった今でも、
「本来動くはずのものが止まっている」
という状況に、
心がムズムズするような、
いてもたってもいられない気持ちになる。
「本来動くはずのもの」というのは、
例えば故障した時計や
電気の切れた街角のネオンといったところだ。

世界中のものが絶えず動き続ける中、
その「一つ」だけが流れに取り残されたような、
時間から切り取られた過去の遺物のように思える。
と同時に、それを見る自分すらも流れに取り残された異物だと訴えられているような気がする。

中学生の頃、街に被さるように架かった
都市高速を眺めながら、
「血液みたいだ」と思ったことがある。

車は全て、都市高速上を同じ速さで同じ方向に
絶え間なく進んでいた。
ぼうっと見つめていると、高速道路上の一台が
急停止するのが見えた。
程なくして後ろに続いていた車が
甲高いクラクションを鳴らした。

一つの停止で全ての流れが止まっていた。

彼らが血液ならば、高速道路は血管、
そして止まった車はがん細胞だ、
そう思った。

やがて止まっていた車はゆっくり動き始めた。

高速道路は何事もなかったかのように、
再び右から左へ流れ始めていった。

この頃、自分は諸事情から転校を繰り返していた。

慣れ親しんだ町を離れることや、
「友達」に昇格しつつあった人たちとの別れは
当初苦痛だったが、繰り返すうちに慣れた。

良く言えば渡り鳥のような、
悪く言えば指名手配犯のような生活をする中、
自分はある女の子と仲良くなった。

当時、突然の別れを恐れて、
他人に深入りすることをひどく嫌っていた自分に、
彼女はよく話しかけてくれた。

彼女は、自分が意図的に他人と
距離を置いていることに気付いていたのか、
込み入った身の上話ではなく、
宿題をやったか、とか友達はできたか、とか、
何の変哲もない平凡な内容を選んでくれていた。

少なくとも当時の自分にはそう感じていた。

ある日の放課後、クラスの同級生から
彼女に障がいがあることを聞いた。

病名は忘れたが、身体が弱く人より成長が遅い、
そんな感じだったと思う。

自分は彼女との会話を敬遠するようになった。

彼女が人と違っているからではなく、
自分の素性は明かしていないにも関わらず、
自分だけが彼女の秘密の一部を
間接的に知っているという状況に、
なにか後ろめたい気持ちがあったからだ。

かと言ってこちらの境遇を曝け出すのも気が引けた。

根気よく話しかけ続けていた彼女も、
自分の胸の内を悟ったのか、
段々と会話は減っていった。


彼女は授業が終わるとすぐに帰るようになった。

自分は他の男の子と話すようになった。


自分と彼女の関係性が希薄になってからも
一定のリズムで季節は変わるし、
当たり前に時間は流れていった。 

教室から見える校庭の彩度が落ち、
空がいつの間にか高くなった。

 

そんなこの町で二度目の冬を迎える頃、
彼女は死んだ。
火事で逃げ遅れた弟を助けようとして、
逃げ遅れたそうだ。

葬式は錆びれたこの町に不釣り合いな、
近くの真新しい葬儀場で行われた。

近頃は彼女と疎遠だった、
というよら自ら距離をとっていたこともあり、
ギリギリまで行くか迷っていたが、
結局行くことにした。

葬儀場へ向かう車の助手席で、
嫌に明るい声で「あなたの冬の一曲」を募集する
ラジオを聴きながら、彼女のことを思い返していた。

自分はどうにも事実を受け入れるのに
時間がかかるタイプの人間で、
彼女が死んだという実感が不思議なくらい無かった。
「弟を助けようなんてあいつらしいな」という、
今思えば不思慮極まりないことを考えながら
御焼香をあげる列に並んだ。

列は流れ自分の順番が来た。    
御焼香ってどうやってすればいいんだろう、
と思いながら線香に火を灯そうとした時、
目の前にある彼女の写真が目に入った。


四角に切り取られた窓の中、
彼女は笑っていた。


彼女は死んだ。          
いや、自分の中で彼女が死んだ。


悲しい、可哀想といった曖昧なものではなく、
「死んだ」といった事実だけが
ただただ鋭く自分に突き刺さった。

「悲しい」という感情は、
「死んだ」という事実を理解した後に起こる、
二次的な反応だ。
事実があまりにも衝撃的な場合、
その事実を理解するのは難しく、
感情として現れるまで幾らか時間がかかる。

自分はまさにその状況だった。

ただ「彼女が死んだ」という
シンプルな現実に打ちひしがれ、
刈り取りが終わった畑の案山子みたいに
茫然と立ちすくんでいた。


彼女は流れの中で「静止」したのだ。


あの日、高速道路で急停止した車を思い出した。


線香の煙が面倒くさそうに
ゆっくりと立ち昇っていった。


正直なところ、その後の葬儀の内容については
あまり覚えていない。

また、彼女がどのような人であったのか
誰かに改めて聞くこともなかった。
自分は数ヶ月後、例によってその地を離れたし、
第一、彼女は既に死んでしまったからだ。

記憶に残っているのは線香の紫色の煙と、
それからフレームの中の彼女の笑顔だけだ。

血管みたいに閉塞的で機械的な流れの中、
あの日彼女は止まった。
弟が静止するのを止めるために、静止した。


自分や世界が、
あの一件の後も動き続けている中、
笑顔の彼女はこれからも、永遠に静止し続ける。

 

自分は度重なる引越しのせいか、
気が付くと一定の土地に
ずっと居続けることができなくなっていた。

それは彼女のせいでもあるのかもしれない。


自分は静止が嫌いだ。

その度に、動き続けろと
言われている気がするからだ。